私の後産を看護婦さんが手伝ってくれて、全て排出し終わった時、「先生、後産終りました〜」と先生に声をかけたのが聞こえた。 そのあと、会陰切開した部分を縫合するために産婦人科の先生が来た。 「赤ちゃん大きかったからねー。ちょっとたくさん切っちゃったからたくさん縫いますよ〜」と軽やかに言う先生に「うえー」と言ってしまった(笑) だって、会陰切開を縫った部分って後々痛いんだもん。でも、本当にたくさん切ったらしく、なんと、麻酔をして縫ってくれた。 で、縫っている辺りから、なんとなく状況が変になってきた。 まず、これから起こる事を察知したかのように、看護婦さんが私の後産を、処理する場所に持って行く間に、手を滑らせて、フロアにぶちまけたのだった。 実際、私はその場面を見ていないんだけど(寝かされていて、私のところからは見える場所じゃなかった)、なんだか壮絶な悲鳴が聞こえてきた(笑) そりゃーそうだろう。そこはかなりの惨状だったと予想される。 看護婦さんが2−3人でその惨状を片付けている間に、先生が縫合しながら、「あれ?」「おや?」と言っている。何かが起こっているらしい。 たまに私の下腹部を押すと、股間から生暖かいものが、かなり勢いよく出てくる感じがした。 出血してるんだなーとぼやーっと思った。でも、いつまで経っても止まらないなーとも思ってた。 そのうち、すごく寒くなってきた。なんだかガタガタと震えが来るのだ。 「さ、さむい、寒いです」と先生に訴えたら、先生が「そうだねー、暖房つけようねー」と言った。 自分で寒いと言っておきながら「え?暖房??」と思ってしまった。今日はものすごい暑くなかったっけ?まだ9月1日だよね。それなのに暖房?なんでー?と思っていたら、先生が、 「出血が、ちょっと大目だから、もう少し待っててねー」と言って来た。 そして、看護婦さんに「今すぐ、O先生を呼んできて」と言っているのが聞こえた。O先生はこの病院の産婦人科長の先生。ありゃー?何かあったのかなー?と他人事のように思ってた。 ふと、横にある血圧計を見た。血圧の下が29という値をさしていた。 「あ、私、やばいのか?」とその時初めて思ったが、なんだか意識朦朧だった。 しばらくして、O先生が来た。話を聞いて、すぐ輸血の準備を開始するように指示を出していた。 うお、輸血?私が?? と思ったら、担当の先生が説明してくれた。 どうやら、出産後、胎児や胎盤の排出とともに、子宮から出血が起こる。 普通は、赤ちゃんが出た後、中身が抜けたゴム風船のように子宮が収縮し、その収縮のお陰で出血も止まる。 が、たまに、子宮が伸びきったゴムのようになって、収縮しない場合がある。その場合、出血が止まらない。どうやら、今の私はその状態らしい。 そして、その状態から子宮を収縮させるには、子宮収縮剤を投与し、子宮を冷やしながら、子宮マッサージをして収縮を助けるしかないらしい。 と言うわけで、まず、お腹の上下に氷枕が置かれ、子宮マッサージが開始されたんだが・・・。 これがものすごーーーーーく痛かった。 いや、マジで痛かった。 「もう、いい。なんでこうなるの?家に帰りたい!やめてーーー!!」と叫び続けていた。 気分的なものだろうけれど、多分、陣痛と同じくらいかそれ以上に痛かった。 後で知ったのだが、このとき、大の男が3人がかりで、私の子宮を上から圧迫していたのだ。そりゃ痛いだろ。 そんなに痛いのに、たまに記憶が途切れたりしてた。 遠くで、サザンオールスターズのオルゴール版のCDが流れているのが聞こえていた。 「真夏の果実」・・あ、これ、だーりんが歌ってくれた歌だ・・・ なんて思ってると、「おおやまさん、おおやまさーーーーん!!!」と誰かが私を呼んでいる。 「は、はい!!」と言って正気に戻った。こんなことを何度か繰り返した。 ふと気が付くと、隣にだーりんと父親が居た。 私の顔を見て「おい、真っ青だな」と父親が言った。 先生が父親に症状の説明をしている。父が「私はこの子と同じ血液型です。輸血が必要なら、私の血を使ってください!!」と言っているが、拒否されている。 現代医学では、血液を輸血するのに、いろんなステップが(感染症の検査など)入るから、そういうのは許されないらしい。 先生が、だーりんと父親に「このまま出血が止まらないようなら、子宮摘出しか無いです」と言っているのを聞き、私は「取ってください。もう子供要らないから」と即答したら怒られた。 でも、そのくらい辛かったのだ>子宮マッサージ 程なく、父親とだーりんは出て行った。この辺も良く覚えていない・・ その後、「血液が届きました」と言っているのが聞こえた。そこからの私の両腕、両足にいくつもの点滴の針が刺された。そして、すごい勢いで点滴のなかの液体が身体に入って行くのを感じた。 普通の点滴って「ぽた・・ぽた・・・」って感じで落ちてくるでしょ。それが「だーーーー」と入っていたのだ。 「輸血してもらってるんだー・・」と思いつつ、なんとなく眠くなって寝てしまったような気がする。 ふと気が付いたら、なんとなく部屋が明るくなっていた(ような気がした)。 「おおやまさん、だいじょうぶ?」と誰かが言った。 「はい。」と答えながら辺りを見回してびっくりした。 なんと、その病院の産婦人科の先生が、全員集合していたのだ(総勢5人) 「あ、先生が全員いるー」と言ったら笑われた。 なんだかすごく長い事眠っていたような気になっていた。とても晴れやかな気分だった。 「今日、何日ですか?」と聞いたら、「今夜の11時だからねー、まだ9月1日だよ」と言われた。 「えーー?3日くらい経ったと思ってた」と、言ったら、また笑われた(^^; でも、本当に3日くらい経ったつもりでいたが、わずか3時間余りの出来事だったらしい。 どうやら、出血も止まったようだ。輸血も間に合ったみたいで、なんだか身体がポカポカしてきた。 先生方がしきりに私のおしっこの量を観察していた。おしっこが出れば大丈夫らしいのだが、私の場合、かなりたくさん出ていたらしくて、「気持ちがいいほど出てるね〜」と言われた。ちと恥ずかしかった(^^;; その後、少し眠ったような気がする。気が付くと2時頃だったらしい。 また父親とだーりんが来た。私の顔を見て、「お、色が戻ったね」と言った。 産婦人科長のO先生も「もう、大丈夫でしょう。一応あと1パック、輸血用の血液は確保してありますけどね」と言っていた。 輸血はまだ続いていて、なんだか気が付いたら、実験台と化していた(笑) 「輸血の時の点滴は・・」とか、「緊急の時の針を刺す場所は・・」とか、先生が看護婦さんに教えていた。 3時頃になり、先生方ももうみんな帰宅した。後に担当の助産婦さんが1人残った。 この頃には、私もかなり意識がはっきりしていた。そして、意識がはっきりすると、また別の問題が私に降りかかっていた。 分娩が始まってから今まで、もうかれこれ、8時間近くになるんだろうか。私はずっと分娩台の上にいたのだ。ご存知の方はご存知のように、分娩台というのは、すごく狭い。そしてすごく硬い。 子宮マッサージでぐりぐりと押されていたために腰は痛いし、マッサージは終ったけど、お腹を冷やすのは続けていたので、「冷たい痛さ」が腰を襲っていた。痛かった。 しかも、両手両足から点滴の管がまだ刺さっていたので、身動きが取れない。 「痛いんですけど・・」と言ったら、助産婦さんが分娩台の上にスポンジのマットを敷いてくれたんだけど、それでも痛みは取れなかった。辛かった〜。 5時になって、ようやく輸血、抗生剤、子宮収縮剤などの一連の点滴が一区切りついて、個室に移動になった。 でも、まだ点滴が残っていたので、丸一日個室に泊まる事になった。 点滴はされていたけど、寝返りも打てたし、かなり楽になった。 午後になって、看護婦さんが赤ちゃんの写真を撮って持ってきてくれた。 彼も心電図の機械やら、点滴やらを付けられていて、痛々しい感じだったが、それとは裏腹に元気そうな顔つきだった。 とりあえず生きてるんだな、と実感した。 と言うわけで、私は「子宮弛緩」という症状に見舞われたのだが、これは、放っておくと出血多量で死に至るので、早めのマッサージ、輸血措置をしてくれた病院には、本当に感謝している。 結局、私は全部で6リットルもの輸血をしたらしい。身体の血液全取替え+αの量だ(^^; で、この病気、なんと、治ってしまえばその後、副作用などは何も無いのだ。 結局私は、こんな事があったにも関わらず、同じ日に普通分娩した人と同じ日(出産5日後)に退院できた(笑) 輸血の感染症の問題があったが、二ヵ月後の血液検査では全て陰性。問題なかったとの事で、これからは普通に暮らしていいとの事。 ただし、「また出産する時は、ちょっと気をつけないといけませんね」だって。 もう出産なんて、二度とするかー!!(爆) 戻る |